脱オタが終わった理由
いい時代になった説
少し前にこのような以下のような流れがあったことを知った。
オタク趣味をあけっぴろげにしてバカにされたことなんて私の今までの人生で一度たりともないんだけど、オタクを理由にバカにされた人は一体どこの世界線に生きてるの??
— しぁろ (@siaro_oekaki) June 13, 2019
いい時代になったなあ https://t.co/h8eHWANwbA
— 砥神まー (@togamimaa) June 14, 2019
そっか…今の10代はそんな感じか…。いいことだ…。 https://t.co/lZlT5WglHq
— 川泉ゆうき (@yuki13kasen) June 13, 2019
やっとこういう人が出てくる時代になったんだな
— とっきー(常磐幸斗) (@tokky9long) June 14, 2019
20~30年くらい前の世界線ですね。高校生にとってはいにしえの話だと思います。 https://t.co/bQK9wHuV3E
— ハシビロ屋 (@hashibiroya) June 13, 2019
このリプに対して怒りを表明し叩くような人が驚くほど居なくて、みんな「そんな時代になってよかった」「昔はそんなこともあったんだよ」と優しく言ってる事が本当に……苦労が偲ばれて……
— 十凪高志@夏コミ不参加・・・ (@tonagitakasi) June 14, 2019
良き時代や https://t.co/Vk5SzaePpX
オタクが差別されなくなり、いい時代になった。
本当にそうだろうか?
「陰キャ」というより容赦のない概念の登場
オタクという概念は、あくまでも本人の行動や嗜好と結びつけられて語られるものだった。
気持ち悪いアニメを見ていたり、インターネットにのめり込んでいたり、ダサい格好をしていたり。
だからこそ「脱オタ」というものが一時期流行ったのだ。
- 作者: 久世,トレンド・プロ,晴瀬ひろき
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深夜アニメを見ず、服装に気を遣い、洒脱な音楽を聞き、スポーツに励めば「俺はオタクじゃない」と言うことができる。
被差別階級から脱出し、真っ当な人間になることができる。
そのような幻想を抱くことが許された。
実際はどうだったか?
脱オタに成功した人間が一人もいないとは言わない。この手の試みが必ず失敗するというのもまた歪んだ願望が生む過度なリアリズムだと思う。
だが極めて困難であったことは言うまでもない。
嗜好を変えるのが難しいこともあるし、そもそもオタクという語を用いた差別が建前でしかなかったからだ。
趣味がこうだから、行動がこうだから、服装がこうだから、だからお前は差別されるのだ、ということ自体が偽りだった。
多くの場合、本人には変えようのない気質・能力の欠如に基づく差別を、オタク概念で覆い隠しているに過ぎなかった。
やがて誰もが生活の一部にネットを組み込むようになり、オタク趣味が一般に浸透し始めると、真人間とオタクの差を行動や趣味で説明することが難しくなってくる。
そこで一切のベールを取り払った表現、「陰キャ」が誕生した。
陰の、キャラ。なんと身も蓋もない言葉だろう。
これは人そのものの属性を指す言葉だから、どうしようもない。
どの服を着ようとも、どの音楽を聞こうとも、どの趣味を断とうとも、陰キャは陰キャだ。
行動や趣味を理由にして誤魔化したりしない。ただその人がどうしようもなく持ってしまっている属性を理由に差別する。
もう誰も脱オタなどという夢は見ないし、オタクを馬鹿にする必要もない。より本質的な差別概念が発明されたから。
いい時代になったなあ。