「オタクがボケたらどうなるのか」

 

何十回も聞いた話だと思う。

またこういう話か、と思うくらいには当たり前で、また色々な人達の共感を得ているなと思う。

逆にこういう話を聞いて驚く人達、え!!!!そんな奴らがいるのか!!!???信じられねえぜ!!!!となる人達のことは、こちら側からも見えないから、いまいちそういう人達が多数派なのだということを実感できない。

信じられるか。「学園生活」なんかにはもう興味がなくて、出世とか子育てに夢中で、戻りたいとも思っていない。そんな奴らが本当に普通? 何だかんだ人生のメインシナリオとやらを進展させている人達も、仕方なしに年相応の役割を果たしているだけではないのか。本当は戻りたいと思っているのではないのか。天童よしみの歌を思い出して共感しているのではないのか。学園モノに興味を持ってしまうのは別に行き詰まったオタクに限らない、ごくごく普通のことなのではないのか。

 

そうではない。本当に“根っからの大人”が沢山いるのだということは、認知症の症状を見れば分かる。

 

今を、自分が若かった頃と勘違いして、周囲の人や状況をその頃にあわせて解釈しようとすることがあり、たいていは、ご自身が一番輝いていた時代、たとえば会社でバリバリ仕事をしていた頃や、子育てに追われていた頃に戻ることが多いようです。

http://sodan.e-65.net/kaigo/guide/kentousiki.html

 

 

「会社でバリバリ仕事をしていた頃」や「子育てに追われていた頃」が「一番輝いていた時代」である人間が、本当に「多い」のだ。

戻りたい時代がいつまでも子供時代や学生時代のままであることは、本当に異常なのだ。

 

本当にそうか?

 

“世代の違いである”という可能性もある。というか私はそうだと思っている。「自分もいつかああなるのだ」と思っているような老人に、今の50代以下はならない。なれない。現在の認知症の主だった層は、戦争経験者であったり戦後すぐの生まれだったりする人達であって、そういう人達だからこそ見当識障害に陥っても戻るのは「会社でバリバリ仕事をしていた頃」や「子育てに追われていた頃」なのではないか。老人を敬うべきであるという考え方が建前上でも残っているのは、現在の老人が本当に敬われるべき存在だからであって、我々が老人になる頃には建前すら残っていないのではないか。

そんなことはないのかもしれない。今も根っからの大人が圧倒的に多数派で、学園生活の夢を見ているのは一部のオタクだけで、これからの老人も今の老人と同じように老人であるのかもしれない。今よりもっと素晴らしい老人になるのかもしれない。答えは何十年か後に分かるだろう。

では、そのマジョリティなのかマイノリティなのか分からないオタク達がボケた時、一体どの時代に戻るのか。「ご自身が一番輝いていた時代」はいつ? 学園モノが好きだからといって別に輝かしい学生生活を送ってきたわけではないだろう。むしろ逆だ。だから学生時代にすら戻らない。もっと昔、両親に期待されていた幼少期に戻るのか。あるいは架空の学園に入学してしまうのか。老人ホームで一つの異能力学園が形成されてしまうのか。愉快な認知症ライフに乞うご期待だ。